2026/8/20

中途半端な評価制度で良い評価を受けた人が登っていく社会の末路

大手企業の評価制度を一般化し、テンプレートとして中小企業に配る商売が流行って久しい。曰く、評価者の裁量は属人的で不公平だから排除すべし。曰く、どの部署で誰が評価しても同じ結果が出る制度こそ理想である、と。

こうして金太郎飴のような評価制度が全国に普及した。切っても切っても同じ顔が出てくる。だが実際に出てきたのは、公平ではなかった。

「中途半端」とは、形式だけ揃って運用が恣意的だということ

この種の制度の本質的な欠陥は、形式は徹底的に統一されたのに、運用は何ひとつ統一されなかったことにある。

様式は全社共通。評点の分布も指示される。だが「なぜAなのか」を語る訓練は誰も受けていない。基準を言葉にできない評価者に残るのは、今期の数字と、その場の印象だけだ。表向きは客観、実態は恣意。両方の悪いところが同時に手に入る。裁量を排除したつもりで、実際には裁量を無自覚な形で温存した。これが「中途半端」の正体である。

誰が高い評価を得るのか

答えは前回書いたとおりだ。自分ではリスクを取らず、問題を将来に付け回し、任期中だけ穏やかに見せた人間である。

修繕を先送りする。人員を補充せずに現場を回し切る。値引きで数字を積む。取引先とのきしみに蓋をする。いずれも今期の紙の上では美しい。三年後に爆発する頃、本人はもう別の椅子に座っている。

そして、その場で「これは持ちません」と言った人間は、評価シートに残らない形で処理される。「和を乱す」「代案がない」「協調性に難あり」。表現は各社さまざまだが、行き着く先は同じだ。異動、担当替え、静かな窓際。組織から干されるとは、この程度に静かな手続きである。

無菌化は、世代を重ねて完成する

問題はここから先だ。先送りで高評価を得た人が、昇っていく。

昇った彼らが、次の世代の評価者になる。問題を指摘しなかった人間が、問題を指摘する人間を裁く側に回る。彼らは自分がやってきたことを否定できない。だから、指摘する部下を高く評価することは構造的に不可能である。

二代、三代と繰り返せば、組織は完全に無菌化する。異物は入口で除去され、内部で生じた変異も速やかに処理される。残るのは、生産性の上がらないオフィスに毎日きちんと通う人々だ。

アリはまだましである。アリは巣に必要な労働を実際に行い、餌を運び、幼虫を育てている。彼らは通っているだけだ。アリ以下だと言われても仕方がない。しかも本人たちは毎年きちんとB評価を得ている。制度上、何ひとつ問題は起きていない。

測れないものを削ったら、本体が消えた

この構造を作ったのは、制度そのものと、それを設計した権限者である。人事部と、決裁をした役員だ。

彼らの誤りは、制度の中身ではない。自分が万能でないことを認めなかったことである。測れないものを制度から削り、測れるものだけを残した。整合性は保たれ、運用は楽になった。だが世の中で本当に価値のあるものは、たいてい測りにくい場所にある。人の信頼、五年後に効く布石、若手が辞めずに残る空気、そして「今これを言わないと後で困る」と口を開く胆力。削ったのは雑音ではなく、本体だった。

最初に気づくのは、いつも優秀な若手である。彼らは半年で構造を見抜き、黙って外に出ていく。残るのは、この構造でこそ生きられる人々だ。選別は正しく機能している。ただし、逆向きに。

末路

表向き、衰退は緩慢に見える。数字はなだらかに落ち、誰の評価も下がらない。全員がB評価のまま、静かに歳月が過ぎていく。

だが実際には緩慢ではない。先送りされた問題は消えておらず、簿外の負債として積み上がり続けている。設備も、人材も、顧客の信用も。そして限界を超えたとき、それは一日で表面化する。大型の不祥事や突然の巨額損失が、いつも「なぜ誰も止めなかったのか」という問いとともに現れるのは偶然ではない。止めようとした人は、いた。十年前に、静かに片づけられただけである。

責任者は特定できない。誰も嘘をついていない。誰も悪くない。それがこの制度の、唯一にして最大の完成度である。

筆者:

齊藤壮太

1985年生まれ、横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社の18年超のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。不動産デベロッパー業務、アパレルOEM、自動車ディストリビューター・ディーラー、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJに携わる中で所属した5つの組織が解体された。経営管理、予算・事業計画策定、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など幅広い業務に従事。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで柔軟に経営課題に真摯に取り組んできた。

編集後記

公平な評価を求める声は、正しい。ただ公平とは「差をつけないこと」ではなく「差の理由を語れること」だ。語る訓練には金と時間がかかる。様式を配るだけならタダである。安いほうを買ったのだ、我々は。

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