

夜11時、課長がノートパソコンを開いている。部下から届いた一行をAIに貼り付ける。「大丈夫です、気にしないでください」。続けて打ち込む。「これはどういう意味ですか」。
AIは丁寧に答える。「言葉通りに受け取ってよい場合が多いですが、状況によっては遠慮や不満が含まれている可能性もあります」。
課長はうなずき、画面を閉じる。何も分かっていない。
辞書に載っていない「勝手にしなさい」
子供の頃、母親に「勝手にしなさい」と言われて、本当に勝手にした子はいない。辞書を引けば「好きなようにしてよい」と書いてある。けれど台所から聞こえたあの声は、どう聞いても許可ではなかった。
言葉と気持ちは、しばしば逆向きに走る。困るのは、それを人間自身がうまく説明できないことだ。なぜ許可ではないと分かったのか。声の高さか、背中の向きか、夕飯の品数か。聞かれても、たぶん答えられない。
人間は、自分でも言語化できないものを、毎日やり取りしている。
109対0の控室

『スクール☆ウォーズ』を覚えている世代なら、あの場面が浮かぶはずだ。
川浜高校ラグビー部は、県予選で相模一高に109対0で負ける。部員たちのジャージは汚れていない。控室でへらへら笑っている。滝沢賢治は2時間怒鳴り続け、やがて一人が叫ぶ。「悔しいです」。泣き声が広がり、「勝ちたいです」に変わる。
そこで滝沢は言う。「これからお前たちを殴る」。
文字だけ読めば、教師による暴力の予告である。今なら体罰で、まず許されない。そこは曖昧にしない。
ただ、あの控室で起きていたのは罰ではなかった。殴られた痛みはすぐ消えるが、今日の悔しさは忘れるな。滝沢はそう言いながら、一人ずつ名前を呼んで拳を振るう。殴る側の拳も痛い。あれは「お前たちの悔しさを、俺も背負う」という誓約の判子だった。
同じ一行が、関係の中では誓いになり、関係の外では暴力になる。
「いやよいやよ」が美しかった条件
「いやよいやよも好きのうち」という言い回しがある。照れて「嫌」と言う。本心は逆。昭和の歌謡曲やドラマに、そんな場面はいくらでもあった。
ところがこの言葉は、嫌だと言う人の意思を無視する言い訳にも使われてきた。拒否を拒否として受け取らない人間にとって、これほど便利な一行はない。
では、あの「いやよ」が美しく成立していた条件は何か。言った本人が、「本当に嫌なら、この人はやめてくれる」と信じ切っていたことである。安心があるから、照れて逆を言える。行間の遊びは、「嫌」が必ず尊重されるという土台の上でしか成り立たない。土台のない場所で行間を読みにいく人は、ただの鈍感な侵入者だ。
AIは修学旅行のしおりを読んでいる

AIは、あの控室の場面を人間より上手に解説できる。放送から40年、無数の人が感想を書き、分析し、泣いたと書き残してきた。AIはその文字の山から、「殴る」が誓いとして受け取られてきたことを学んでいる。
けれどそれは、修学旅行のしおりを隅々まで読み込んだ状態に近い。集合時刻も旅館の名前も完璧に言える。ただ、消灯後の枕投げの夜は一度も来ていない。
そしてAIは「嫌」を「嫌」として受け取るように作られている。これは欠陥ではない。関係を持たない者が行間を勝手に読みにいけば、それは「いやよいやよ」を言い訳にする側と同じになる。
行間を読む資格は、関係の中にしかない。 AIが行間を読まないのは、正しい遠慮である。
行間を外注する人
冒頭の課長に戻る。
行動の型はこうだ。1on1の前に「部下のやる気を引き出す声かけ」をAIに尋ねる。出てきた文をほぼそのまま読む。部下は3行目あたりで気づく。
得をするのは誰もいない。課長は分かった気になり、部下は「この人は自分の言葉で話す気がない」と学ぶ。部下が欲しかったのは、整った励ましではない。不器用で、少し的外れで、それでも課長の口から出た言葉だった。
滝沢賢治の「殴る」は、AIが書けば平均的な「これからは一緒に頑張ろう」になる。誰も傷つかない代わりに、誰の悔しさも背負わない。
行間は、経験でしか書けない
AIが行間を理解できるか。その問いは、たぶん順番が逆だ。
滝沢賢治の拳が誓いとして届いたのは、あの2時間があったからだ。怒鳴り、怒鳴り返され、それでも控室を出ていかなかった時間があったからだ。「いやよ」が照れとして通じたのも、「嫌」を何度も尊重してきた積み重ねがあったからだ。行間とは、そうした経験がインクになって、ようやく書かれる文字である。
そのインクは、AIからは借りられない。
言い間違え、気まずくなり、翌日もう一度話しかける。的外れな励ましをして、相手の顔が曇るのを見る。その繰り返しの中でしか、言葉の裏にある感情を受け取る力は育たない。いずれは言葉を越えて、黙っていても通じるところまで行く。AIに行間を訳させているうちは、人と信頼関係を築くことはできない。
課長はノートパソコンを閉じた。明日の朝、部下が給湯室で誰とも目を合わせずにコーヒーを淹れていたら、「大丈夫です」の意味はそこに書いてある。読めるかどうかは、課長がこれまで部下と何を経験してきたかで決まる。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
子供の頃、「勝手にしなさい」と言われて本当に友達の家へ行ったことがある。帰ると、母は何も言わなかった。何も言われず数日が経ち、耐えかねて自らの反省を謝ったのを思い出す。今のAI、そして若者はどうだろうか。
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