

「本件はアジェンダの確認から入ります。前回のエビデンスを踏まえてケイパビリティを棚卸しし、シナジーをドライブしていく方針です」
会議室の十人が、そろってうなずく。質問は出ない。1時間後、エレベーターの中で誰かがぼそっと言う。「で、結局、何やるの?」
誰も答えられない。発表した本人だけが、いい会議だったと思っている。
ノブレス・オブリージュ。「高貴さは義務を伴う」と訳される。貴族に畏敬の念を持て、という意味だと思っている人がいるが、向きが逆だ。下から上に向ける言葉ではない。持って生まれた者が、自分自身に向ける言葉である。
では今の日本で、何を持って生まれた者が「貴族」にあたるのか。爵位はもうない。代わりにあるのが、頭の良さだ。
双生児研究では、知能の個人差の半分から7割ほどが遺伝で説明されるという。残りも、親が本を買ってくれたか、塾に通わせてくれたか、静かに勉強できる部屋があったか。頭の良さの大半は、本人の手柄ではない。配られたカードである。

スーパーの棚の一番上に、目当ての商品がある。小柄なおばあさんが背伸びをしても、指先がかすりもしない。そこへ背の高い男性が通りかかり、ひょいと取って渡す。おばあさんは礼を言い、男性は会釈して去る。
誰も男性の身長を褒めない。背が高いのは親譲りで、努力の成果ではないからだ。だが、取ってあげたことは褒められる。
頭の良さも同じ構造をしている。頭がいいことに価値はない。届かない人に届けたとき、初めて価値が出る。難しい話を、分からない人に分かる言葉で渡す。それが頭のいい人の、ほぼ唯一の義務である。
冒頭の発表者は逆をやっている。自分にしか届かない棚の上に、わざわざ箱を載せて回っている。
この手の人には共通の型がある。質問されると、答えの代わりに別のカタカナ語を出す。「それはリテラシーの問題ですね」と、相手の理解力に話をすり替える。資料は1枚に文字を詰め込み、余白を恐れる。部下が「要するにこういうことですか」と平たく言い直すと、少し不機嫌になる。
彼らは30年近く、試験で評価されてきた。試験では難しい答えを書けば点が入り、相手に伝わったかどうかは採点されない。頭がいいのではなく、採点のされ方に最適化されているだけである。偏差値秀才の正体は、たいていこれだ。
それでも割を食う人は出る。分かったふりをした十人は、それぞれ違う解釈で動き出す。3週間後に食い違いが発覚し、やり直しの残業を背負うのは現場だ。発表者はそのころ、次の会議でまたシナジーをドライブしている。
本当に分かっている人は、平たく言える。平たく言えないのは、分かっていない部分を難しい言葉で覆って隠しているからだ。難しい言葉で頭のいいふりをする人は、頭が悪い。それが言い過ぎなら、少なくとも義務を果たしていない。
『鬼滅の刃』の無限列車編で、炎柱・煉獄杏寿郎は幼いころの記憶を思い出す。病床の母が息子に問う。なぜ自分が人より強く生まれたのか分かるか、と。
答えは、弱い人を助けるためだ。恵まれて生まれた者は、その力を世のため人のために使わなければならない。母はそう言い聞かせる。
母は「おまえは特別だから胸を張れ」とは言っていない。強さを、本人の持ち物ではなく預かり物として渡している。杏寿郎はその言葉のとおり、乗客を一人も死なせずに戦い抜いた。
これがノブレス・オブリージュの、いちばん分かりやすい日本語訳だろう。映画館で泣いた大人は多いはずだ。泣いた翌朝、会議室でシナジーをドライブしていないか。
頭のいい人かどうかは、学歴でも資格の数でも語彙の量でも分からない。
その人が話し終えたあと、聞いた側が動けるかどうか。エレベーターの中で「で、結局、何やるの?」が出なかったかどうか。見るべきはそこだけだ。

戦前の海軍兵学校では、生徒が毎晩、五つの問いで一日を振り返ったという。
一、至誠に悖るなかりしか
一、言行に恥づるなかりしか
一、気力に缺くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか
古い言葉で、今の若い人には少し難しい。だが五行しかない。飾りもない。読めば、何を問われているかは分かる。
難しいのは言葉ではない。毎晩それに答えることのほうだ。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
書きながら、昔の自分の企画書を何枚か思い出した。カタカナで埋めた資料ほど、社内の通りはよかった。通りがいいことと伝わることは別物だと気づくまでに、ずいぶんかかった。この文章も、読んで分からなかったら私の義務不履行である。
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