

日曜の朝、玄関の脇に回覧板が立てかけられている。3日、そこから動いていない。
家の中からは、洗濯乾燥機の終了音が聞こえる。食洗機も回っている。買い物はアプリで済ませ、箱はドアの前に置かれている。
その日の夕方、同じ家の人のSNSに写真が上がる。近所の公園の夕焼けと、短い一文。「こういうつながり、大事にしたいですね」。
いいねが、47ついている。
浮いた時間は、どこへ行ったのか
家事の時間は、この50年で確実に短くなった。
たらいと洗濯板は洗濯乾燥機になり、かまどは炊飯器になり、買い物は玄関まで届く。掃除機は勝手に走り回る。先人が夢見た通りの家になった。
では、浮いた分の時間で私たちは何をしているか。
多くは、手のひらの中を見ている。誰かの旅行、誰かの弁当、誰かの子供の運動会。そして自分も投稿する。時短家電が作り出した時間の、かなりの部分が、画面に吸い込まれている。
機械が家事を引き取ってくれたのに、なぜか誰も暇そうに見えない。

井戸端には、水汲みがついていた
昔、水は井戸から汲んできた。
毎朝、重い桶を提げて歩く。面倒な作業である。そして井戸の前では、たいてい誰かと一緒になる。嫁の愚痴、畑の話、誰それが寝込んだ話。井戸端会議という言葉は、あの光景から来ている。
大事なのは順番だ。おしゃべりが先にあったのではない。水を汲むという用事が先にあって、会話はその副産物だった。
水道が家に来て、桶は消えた。用事が消えたのだから、それで良かったはずだ。ところが会話のほうは、消えてくれなかった。人は誰かに聞いてほしい生き物で、その欲求だけが宙に浮いた。
そこに現れたのが、画面の中の井戸端である。桶を提げなくていい。玄関を出なくていい。挨拶も、順番待ちもいらない。
出ない人が悪いのではない
先に断っておく。地域の行事に出られない事情は、いくらでもある。
土日も働いている人がいる。親の介護をしている人がいる。小さい子を抱えて、日曜の朝に草むしりへ行けない人もいる。そういう人を責める話ではまったくない。
それに、昔の近所付き合いが良いものばかりだったわけでもない。詮索され、比べられ、断れない。あれが嫌で距離を置いた人の判断は、正しい。
問題は別のところにある。
会費を払わずに、施設だけ使う
気になるのは、降りたはずの人が、都合のいい日だけ戻ってくることだ。
行動の型はこうだ。掃除当番の回覧は「その日は予定が」で止まる。役員のくじ引きの日は欠席する。夏祭りの準備には来ない。
けれど夏祭りの当日には、家族で来る。屋台の写真を撮る。SNSには「地域の温かさに感謝」と書く。
祭りを準備したのは、朝から櫓を組んでいた人たちである。その人たちの名前は、投稿に出てこない。
会費を払わずにプールの水だけ使えば、いつか水は抜かれる。
トトロの時代の預け合い
『となりのトトロ』で、サツキとメイは近所のおばあちゃんに預けられる。当たり前のように上がり込み、畑の野菜をもらう。
あれは善意だけで回っていたわけではない。預ける代わりに、こちらも預かる。もらう代わりに、こちらも持っていく。全員が面倒を少しずつ引き受けていたから、いざというときに助けが来た。
今は、預かってくれる家がない。だから病児保育を探し、ベビーシッターを手配し、休みを取って頭を下げる。便利になった分だけ、自分で全部を抱えることにもなった。

いいねは、なぜ安いのか
もう一つ、身も蓋もないことを書く。
画面の向こうの承認は、手に入りやすい。顔を知らない人が、1秒で押す。数は増えるが、一つあたりは軽い。
近所の人からの「助かったよ」は、逆である。手に入りにくい。何年か顔を合わせ、面倒を引き受けて、ようやく返ってくる。重い代わりに、その人は本当にこちらを見ている。
軽いものは大量に集まり、重いものはめったに来ない。だから人は、軽いほうを数えるようになる。47という数字は、確かに気持ちがいい。ただ、深夜に熱を出した子供を抱えたとき、その47は誰も来ない。
回覧板は、まだ玄関にある
時短は悪ではない。たらいで洗濯していた時代に戻れという話でもない。
ただ、浮いた時間で何をしているかは、一度見たほうがいい。機械が引き取ってくれたのは家事であって、人と関わる面倒まで引き取ってくれたわけではない。面倒を全部手放した先にあるのは、自由ではなく、画面の中の数字だけだ。
回覧板は、まだ玄関の脇に立てかけてある。次の家の人は、たぶん、もう気づいている。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
正直に書くと、私も回覧板を2日止めたことがある。隣の奥さんに「うちが遅くてごめんなさいね」と何でもない顔で言われ、あの一言のほうが効いた。移動が面倒で電動キックボードのサブスクに入った時期もある。体重が増え、筋肉量が落ちた。慌てて解約した。省いた手間は、たいてい別の請求書で戻ってくる。
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