

近所に、なんでも知っている物知りおじさんがいたとする。畑の水やりから夫婦げんかの仲裁まで、聞けば必ず答えが返ってくる。しかも三秒で。夜中でも起きている。絶対に怒らない。
これがチャッピー(Chat GPT)である。
夫の行動が納得できない。チャッピーに聞く。取引先との会話がうまくいかない。チャッピーに聞く。わからないことがあれば、とりあえずチャッピーに聞く。返ってきた答えを読んで、人はこう思う。「なるほど、普通はそうなんだ」と。
ここが入口である。
AIは「正解」ではなく「真ん中」を出す機械

チャッピーは、世界中の文章を読み込んで、その真ん中あたりを喋っている。カレーで言えば、甘口も激辛も全部いっしょに鍋へ放り込んで作った中辛だ。誰の口にも特別合わないが、誰も文句が言えない味。無難で、上品で、そこそこ役に立つ。
問題は、この中辛を食べた人が「カレーとはこういうものだ」と思い込むことである。
妻の目の前にいるのは「統計上の夫」ではない。今日たまたま機嫌の悪い、生身の夫である。取引先にいるのも「承認欲求を満たすべき相手」ではなく、昨日部下に怒鳴られて胃が痛い部長である。ところが人間は、手元に立派な答えがあると、目の前の事実を見なくなる。カーナビを信じて、通行止めの看板に突っ込んでいく車と同じだ。

しかも全員が同じカーナビを積んでいる。抜け道は、全員が知った瞬間に本道になる。渋滞である。
そのペルソナ、実在するのか
この病気は家庭より会社で重症化する。
「35歳、共働き、子ども二人、世帯年収8百万円、時短と健康志向を両立したい田中さん一家」。会議室のスクリーンに、こういう家族が映る。全員がうなずく。企画が通る。
昔、アメリカ空軍が4,000人のパイロットを測り、平均寸法にぴったり合う人間を探したことがある。十項目すべてが平均だった人は、ゼロだった。腕が平均なら脚が長い。胸囲が平均なら首が細い。「平均的な人間」は、実在しない。
田中さん一家も同じである。あれは統計の平均から組み立てた、よくできた幽霊だ。
そして商品は売れない。すると会議室でこう言われる。「ペルソナの設定が間違っていた」。年収を6百万円に下げ、子どもを一人に減らし、共働きを専業主婦に変える。幽霊の着替えである。着替えたところで、やはり売れない。当たり前だ。間違っていたのはペルソナの中身ではなく、幽霊に向かって商売していたことなのだから。
本当に確かめるべきことは一つしかない。「そのお客さん、実際に何人いるんですか」。この質問を会議で口にする人間が、いま社内に何人残っているだろうか。
AIは答えを出す道具ではなく、捨てる道具である
以前、データサーバーの話を書いた。AIは情報を溜めるために使うのではなく、選別するために使うべきだ、と。人間の頭も同じである。
チャッピーに「どうすればいいか」と聞くのはやめたほうがいい。代わりに「自分はこう考えたが、どこが間違っているか」と聞く。前者は思考の外注、後者は思考の砥石だ。同じ道具でも、答えをもらいに行くのか、自分の考えを削りに行くのかで、人間の残り方がまるで違う。
経営者の仕事は、決めることである。決めるとは、責任を引き受けることだ。チャッピーの答えのとおりにやって失敗したとき、誰も責任を取らない。チャッピーは謝らないし、翌朝には何も覚えていない。
本当の脅威
AIの脅威は、AIが人間より賢くなることではない。
人間が、考えるのをやめても、そこそこ生きていけてしまうことである。そこそこの答えで、そこそこの企画を出し、そこそこの評価をもらう。誰も困らない。困らないまま、会社はゆっくり沈む。
賢い機械は脅威ではない。脅威なのは、それを使って自分の頭を空にした人間のほうだ。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
この原稿をチャッピーに読ませたら、「バランスの取れた良い記事です」と言われた。中辛である。念のため申し添えると、褒められて少し嬉しかった。人間とは、その程度のものだ。
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