

上場企業が2025年度に設定した自社株買いの枠は、合計で22兆3千億円あまりだった。前年度から18%増え、5年連続で過去最大を更新している。その前年度も18兆円台で、さらにその前の年から85%増えていた。
数字が大きすぎて実感が湧かないので、割ってみる。
一日あたり、およそ6百億円。
日本の上場企業が、毎日6百億円を出して、市場から自分の会社の株を買い戻している計算になる。そしてこれは、おおむね好意的に報じられている。「株主還元」「資本効率の改善」という、上品な言葉とともに。
その前に、そもそも自社株買いとは何なのか。難しく説明されがちなので、ケーキで書く。
ホールケーキが一つある。切り分ける人が十人いる。会社が市場から株を買い戻すと、切り分ける人が九人に減る。当然、一人あたりの取り分は増える。一株あたりの利益が増え、株価は上がる。
ここで確認したいのは、たった一点だけだ。
ケーキは、一ミリも大きくなっていない。

大きくなったのは一切れであって、ケーキそのものではない。何かを新しく生み出したわけでも、誰かの生活を良くしたわけでもない。分母をいじっただけである。
そもそも、会社が自分の株を買う、という行為自体、よく考えると妙な話ではないだろうか。自分のお小遣いを使って、自分の名前が書いてある券を買い戻している。子どもに説明したら、たぶん首をかしげる。
実際、日本では長らく原則として禁じられていた。解禁されたのは2001年の商法改正で、いわゆる金庫株が認められてからである。それ以前は、株価操作や資本の空洞化につながるという懸念のほうが強かった。
つまり、二十数年で、禁じ手が模範解答になった。いまでは東京証券取引所が資本コストと株価を意識した経営を求め、それに応える形で自社株買いが急増している。制度が変わったのだから、違法でも脱法でもない。ただ、かつて何を心配して禁じていたのかは、覚えておいて損はない。
さて、本題である。その買い戻しの金は、どこから出ているのか。
「会社の金です」という答えが返ってくる。この言い方が、いちばん問題をぼかす。
会社には財布がない。あるのは、誰かが働いて稼いだ金だけである。工場で、営業先で、現場で、深夜の当直で。その会社の従業員が額に汗して稼いだキャッシュが、そこにある。
そのキャッシュには、本来の使い道が三つあったはずだ。
一つ目、次の世代のための投資。来年の畑に撒く種である。
二つ目、危機に備えた蓄え。雨の日のための傘だ。
三つ目、稼いだ本人たちへの還元。稲を刈った人が最初に食べる、という当たり前の順番である。
日本には、この一つ目と二つ目をまとめて言い表す言葉がある。種籾(たねもみ)だ。
どんなに飢えても、来年撒く種だけは食べない。食べたらその村は翌年に終わるからだ。昔の農村はこれを子どもにまで叩き込んだ。目の前の腹を満たすことと、来年生きていることは、別の問題だからである。
傘のほうも、教科書的な実例がある。米国の大手航空会社は、2010年からの十年間で、フリーキャッシュフローの96%、およそ4.5百億ドルを自社株買いに投じていた。そして2020年、感染症で客が消えた途端、政府に巨額の支援を求めた。晴れの日に傘を売り払い、雨が降ってから他人に傘を借りにいったわけである。この数字は、支援に反対する人々の合言葉になった。
もっとも、この96%という数字は一社の突出が全体を歪めているという反論もある。だから断罪はしない。ただ、構図としては、これ以上ないほど分かりやすい。
ここで、必ず出る反論に触れておく。「余った金を返すのは当然だ」。
そのとおりだ。使いもしない現金を寝かせておくのは、それ自体が経営の怠慢である。私も、内部留保をただ積み上げるのが正しいとは思わない。
ただし、言葉の使い方だけ確認させてほしい。
余りとは、やるべきことを全部やった後に残るものである。
種を撒いた。傘も買った。刈った人にも食べさせた。そのうえで残っているなら、それは余りだ。返して構わない。
だが、そのどれもやっていないのに手元にある金は、余りではない。やり忘れである。
そして、その金がどこへ流れていくのか。誰が受け取るのか。次稿で書く。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
「会社の金」という言い方は、誰が稼いだかを消すために発明された表現である。会社は働かない。働くのは人だけだ。
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