

課長の失言は、課の空気を悪くする。経営者の失言は、会社の方向を変える。
同じ言葉でも、立つ位置によって重さが違う。これは人格の問題ではなく、構造の問題である。役職とは、自分の発言に掛かる倍率のことだ。倍率が上がれば、同じ一言でも着弾範囲が広がる。
だから、影響する人間の数が増えるほど、私的な発言は減らさざるを得ない。
「あの取引先は好きじゃない」「私は数字より現場派だから」「あいつはどうも合わない」。課長が居酒屋で言えば愚痴で済む。経営者が会議室で言えば、それは方針である。翌週には調達先が変わり、評価基準が歪み、名指しされた人間の社内キャリアが終わる。本人にその気がなくてもだ。
会社の経営者が、社員に向かって個人的な好き嫌いを述べていい機会など、ほとんど存在しない。役職が上がるとは、私的な自分の口を塞いでいく作業である。
ところが現実には、逆の光景をよく見る。抽象的で中途半端な発言をする経営者。「もっと攻めていこう」「顧客目線が足りない」「スピード感を持って」。何一つ決めていないのに、決めた気分にだけなれる便利な言葉たちだ。
これを受け取った管理職は、中途半端に理解したまま指示を出すしかない。上司に「攻めるとは具体的に何ですか」と聞き返せる組織は少ない。聞き返せば、理解力を疑われる。だから管理職は、自分なりの解釈で埋める。埋めた部分は当然、経営者の意図とずれている。
そして現場は、なぜやるのか分からない作業を、不完全燃焼のまま進める。
成果物が中途半端でないわけがない。
このとき経営者は決まってこう言う。「思っていたものと違う」。当たり前である。思っていただけで、決めていないのだから。
曖昧な指示が生むコストは、やり直しだけではない。「これはこういう意味でしょうか」という確認が往復する。関係者が増えるほど、往復は足し算ではなく掛け算で増える。決めない一言が、組織の時間を溶かし、サーバーの容量を埋め、電気代まで押し上げていく。決断とは、下流で発生するはずだった無数の通信を、上流で一回で片付ける行為でもある。
決めるとは、解釈の余地を消すことだ。誰が、いつまでに、何を、どの水準で、いくらまで使って。ここを埋めるのが決断であって、方向性を語るのは感想に過ぎない。感想を述べる役員が高給を取っている会社は、それだけで沈みかけている。
西郷隆盛は、「貪官汚吏(どんかんおり)――民から貪る役人――」を厳しく戒めた。役職を、公のために働く負担ではなく、自分の取り分を増やす資格だと勘違いした人間のことである。
明治の役人だけの話ではない。
いまの日本には、自分が雇われた経営者であることを忘れた人が少なくない。会社の看板と自分の実力を取り違え、組織の意思決定と個人の好悪を混同する。社会的な地位と、自分という人間の価値を、きれいに重ねて見ている。
偏差値の高い学校を出て、大きな組織で減点されない立ち回りを覚え、失敗しない選択を積み上げて席まで辿り着いた人たち。彼らは「優秀」な偏差値秀才。少なくとも、「優秀」の証明書は持っている。
しかし、「優秀」の証明書は決断の練習にはならない。決断とは、正解のない場所で、自分の名前で外れを引き受ける行為だからだ。減点されない訓練を二十年続けた人間が、最も苦手とすることである。
だから彼らは決めない。決めた風の言葉を配る。責任は現場に落ち、成果は自分に積み上がる。リスクを取らずに地位の果実だけを取るという一点において、それは形を変えた「貪官汚吏」である。
経営者の仕事は、決めることだ。 決めない経営者は、無害なのではない。組織全体の出力を、静かに、確実に下げている。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
「任せる」と「丸投げ」を分けるのは、基準を先に示したかどうか、ただそれだけである。
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