

「平成」と「令和」は「昭和」の残り香で成り立っていると言っている人がいた。「昭和」以降、新しいものが日本から生み出されていないというのだ。極端な話だが、理解できる部分がある。食べ物は昭和以降に発明された新しいものがない。一過性のブームを経て消えていったナタデココやタピオカなどはさておき、日本食に定着した食事は昭和で止まっている。一方、止まっているならまだしも、退化してるものは無いか?これが自戒も込めて持つ疑問である。順を追って書く。
テレックスをご存知だろうか。
ある年齢から下の方は、まず触ったことがないはずだ。名前だけは聞いたことがある、という程度だと思う。
一言でいえば、電話回線につながったタイプライターである。
電話番号ならぬテレックス番号というものがあり、番号を回すと、地球の裏側にある相手の機械が勝手に動き出す。こちらが打った文字が、向こうの事務所で紙に印字されていく。誰も受話器を取らなくていい。夜中でも、時差があっても、機械が受け取って印字しておいてくれる。1930年代のドイツで実用化され、以後半世紀、世界の貿易はこの機械の上を流れた。
ただし性能は、ご想像の百分の一である。
通信速度は毎秒50ビット、ざっと一分間に66語。いまスマホで文字を打つ速度と並べたら、蟻が歩いているようなものだ。文字コードは五ビットしかなく、表現できる記号は32類。当然、小文字はない。すべて大文字である。絵文字どころか、記号を一つ打つのにも切り替え操作が要る世界だ。
そして最大の特徴は、繋いでいる間、ずっと課金されることだった。
だから当時の人々は、機械に向かって直接打たなかった。まず紙テープに穴を開けて文面を作る。ここは無料である。何度でも練り直せる。仕上がったら回線を繋ぎ、そのテープを機械に一気に読ませる。速く流し込むほど、請求書は軽くなる。
つまり、推敲はタダで、送信は有料だった。
この一点が、文章の質を決めていた。
もう一つ、テレックスにはアンサーバックという仕組みがあった。接続すると、相手の機械が自分の識別符号を自動で名乗り返す。「確かに私が受け取りました」という、機械による署名である。これがあるから、テレックスのやり取りは取引の証拠として通用した。商社の新人が最初に叩き込まれるのが、この打ち方だった時代がある。
言葉が、そのまま契約だったのである。
テレックスの時代、文章には規律があった。
一秒ごとに課金され、削った分だけ請求書が軽くなる。だから書き手は削った。無駄な修飾を削り、重複を削り、婉曲を削る。同じものを二つの言葉で呼ばない。「弊社」と「当社」を混ぜない。言葉の揺れをなくすことが、そのまま相手への配慮だった。
そして何より、読み手が誤読しない表現を選んだ。相手の業界、相手の語彙、相手の時差。そこまで想像して、理解できない言い回しを一つずつ潰していく。短く書くとは、書き手が手を抜くことではない。書き手が手間を引き受け、読み手の負担を減らすことである。
かつての日本の大人は、文語という道具を持っていた。文語は感情表現が不得手だ。しみじみとした心情や、微妙な機微を伝えるには向いていない。だがそれは欠点ではなく、設計思想だった。事実と依頼と条件だけを、揺れなく運ぶための器である。情を乗せる余地がないからこそ、誤解が生まれにくい。学のある人間は、この器を当たり前に使いこなした。
いま、その器は失われた。
現代のビジネスメールを開くと、まず緩衝材が出てくる。「お世話になっております」「先日はありがとうございました」「取り急ぎのご連絡で恐縮ですが」。三行読んでも用件が始まらない。ようやく本題に入っても、「〜という認識で合っておりますでしょうか」「可能であれば、ご検討いただけますと幸いです」と、語尾が延々と曖昧にぼかされる。
結局、何を、いつまでに、誰がやるのか。読み終わっても分からない。
そして厄介なのは、これが単なる無駄ではなく、礼儀として制度化されたことだ。用件だけを簡潔に書くと「冷たい」と言われる。感情の潤滑油を入れないと失礼だと本気で思っている人がいる。つまり我々は、正確に伝えることよりも、感じよく見せることを優先する社会を作ってしまった。
これを私は、日本人の退化の一つだと考えている。

退化の中身は、口語化と情緒化である。話し言葉は本来、その場の表情や間や声色に支えられて成り立つものだ。それを支えのない文字に持ち込めば、意味は必ず薄まる。薄まった分を、書き手は情緒で埋めようとする。情緒で埋めた文章は長くなり、長くなった文章は読まれず、読まれない文章は誤解される。誤解を防ぐために、また一往復メールが増える。
簡潔さを失った代償は、際限のない往復として支払われている。
そして、その代償は時間だけで終わらない。
別稿「AIの裏側② - データサーバーの9割はいらない。」に書いたとおり、企業が保存しているデータの大半は、二度と読まれることがない。その二度と読まれないデータの、かなりの部分がこの往復である。三行の挨拶、五行の曖昧な語尾、直前のやり取りの全文引用、そして五人分のCC。それが複製され、バックアップされ、書いた本人が会社を去った後も十年、電力で冷やされ続ける。
我々が礼儀だと思って書き足しているあの数行は、そのままサーバーの体積であり、電気代であり、いずれは新しいデータセンターの建設理由になる。丁寧に見せるための緩衝材に、我々は本気で冷房費を払っている。

つまりこれは作法の問題であると同時に、原価の問題だ。文章の贅肉を落とすことは、道徳の話ではなく、経営の話である。
ここに、技術の皮肉がある。
テレックスの時代、推敲は無料で、送信は有料だった。だから人は、送る前に削った。いまは推敲も送信も無料である。だから誰も削らない。制約が消えた瞬間に、規律も消えた。制約こそが文章の質を担保していたのだと、失ってから分かる。
もっとも、これは「昔に戻れ」という話ではない。文語を復活させろとも思わない。あの機械をもう一度置きたい人間もいないだろう。
取り戻すべきは形式ではなく、態度である。自分の書いた一文を、相手が何秒で理解できるかを想像すること。同じ物を二つの名前で呼ばないこと。判断を求めるなら、選択肢と期限を明示すること。丁寧さとは、語尾を柔らかくすることではなく、相手の時間を奪わないことである。
テレックスの担当者は、それを課金メーターの回る音とともに叩き込まれた。 我々は、無料になった途端に忘れた。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
最も丁寧なメールとは、返信が一往復で済むメールである。それは同時に、最も安いメールでもある。
本当に退化したのかは、靖国神社で「英霊の言の葉」を買って読んだらすぐにわかる。これが国語の教科書になる日はくるのだろうか。
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