

「人が採れない」と、どの経営者も言う。私も言う。
だが、街を歩けば人はいる。電車は混んでいる。カフェは平日の昼間から埋まっている。国全体で見れば労働人口は減っているが、目の前の実感は「人がいない」ではない。「人はいるが、こちらには来ない」である。
この二つは、風邪と骨折くらい違う病気だ。
事務職の求人を一本出せば、数十通、下手をすれば百通を超える応募が来る。同じ会社が現場職の求人を出しても、一通も来ない。給与を上げても来ない。この非対称を、我々は「人手不足」という便利な一語で片付けてきた。
足りないのではない。偏っている。そして滞留している。
運動会を思い浮かべてほしい。クラス全員が、リレーのアンカーをやりたいと言っている。第一走者も、バトンを渡す係も、コースを引く係もいない。この光景を見て「うちのクラスは人手不足だ」と言う先生がいたら、問題は先生のほうにある。
滞留の中身は、ホワイトカラー予備軍である。
全国に無数にある大学という名のモラトリアムを四年間過ごしてはいるが、特筆すべき技能は身についていない。ホワイトカラーに本来必要な思考、分析、事務処理が、どういう作業でどうやるものなのかも分かっていない。それでも、その仕事だけを希望する。野球を見たことはあるが、バットを握ったことのない人が、四番を志望している状態だ。
もう一群いる。「いずれ起業したい」と言い続けて何年も準備段階から出られない層である。社会が何を必要としているかより、自分の希望とスタイルのほうが先に来ている。メニューは百通り考えた。厨房は、まだ借りていない。
誤解のないように書くが、彼らは怠けているつもりがない。むしろ逆で、意識はきわめて高い。ただ、希望する職に就けないまま、時間だけが流れていく。四年間かけて助走をつけ、その場でジャンプしなかった、という感じがする。
一方で、日本の現場を回しているのは誰なのか。
ベトナムをはじめとする、外国から来た人たちである。存在感がすさまじい。
彼らは、もっと先の将来に向けたスキルと経験と金を得るために、目の前の仕事に黙々と取り組む。手順を自分なりに工夫し、同じ時間でより多く稼げるように毎日試している。言葉が通じなくても、先輩のやり方を見て、体で覚える。
特別に優秀な層だけが日本に来ているのではない。優秀ではないかもしれない。ただ、日本人が失いかけている勤勉さと一所懸命さを、まだ持っているだけだ。彼らは自分の限界を知り、自分の存在意義を知り、やっと得たこの就労機会の尊さを知っている。だから、黙って手を動かす。
対照的に、いま日本人の口から出てくる単語を並べてみよう。コスパ。タイパ。ワークライフバランス。AI活用。ダイバーシティ。コンプライアンス。JTC。
一つひとつは、どれも正しく、否定しようのない概念である。だが並べると、口にしている側の共通点が浮かび上がる。
どれも、自分が手を動かさずに済ませるために使われている。
しかもこれらは、誰でも語れる。そして語っているうちは、自分が正しくて有能であるように感じられる。筋トレの動画を千本見た人と、腕立て伏せを十回した人がいる。詳しいのは前者だ。腕が太いのは後者である。厄介なのは、前者が鏡ではなく再生回数を見ていることだ。
プロフェッショナルという言葉も、痩せてしまった。
本来これは、長い実務経験に裏打ちされた言葉である。特定の領域で、知識と実務を積み、主体的に関わり、金に換えられる成果を出せる人間を指す。「専門」も「経験」も、そういう重さの言葉だった。
たまたま配属された部署で、お仕着せの研修を受け、決められた事務作業を数年こなした。それだけで「専門です」と名乗る人が増えた。実際にやらせると、ほとんど何もできない。悪気はない。本人は本気で専門家だと思っている。教習所を出ただけの人が、F1ドライバーを名乗っているようなものだ。免許は本物である。だからややこしい。
サッカーで言えば、こうなる。走り込みが嫌で、地味な基礎練習に耐えられない選手は、フォワードにもなれないし、ゴールキーパーにもなれない。ポジション、つまり専門以前の問題だ。そもそも試合に出してもらえない。
いまグラウンドを見渡すと、監督とアナリストと解説者だけが妙に増えている。ボールを蹴る人がいない。
米と絹しか売るものがなかった日本が、世界の列強に認められた。その原資は何か。
まず、米である。米は同じ面積でより多くの人を養える、恐ろしく効率の高い主食だった。日本の最初の資本は、金でも鉄でもなく、田んぼが養った人の数だった。そこに、勤勉を徳とする文化と、目の前の仕事に打ち込むことを尊いとする価値観が乗った。そして、その能力を持つ人材に、必要な仕事が必要なだけ割り振られた。適材適所である。
全員が持ち場で全力を出し、持ち場は能力に応じて配られた。この二枚の歯車が噛み合っていた時代が、確かにあった。
いま、両方とも歯が欠けているのではないか。
ここで、必ず出る反論に先回りしておく。「人が悪いのではない、環境が悪い」。
半分は、そのとおりだ。ただし忘れてはならない。その環境を作ったのは、いま経営をしている我々の世代である。「手を動かさない仕事のほうが尊い」と教えたのは学校であり、親であり、能力よりも学歴に拘り続けた企業だ。因果の上流に立っているのは、若者ではない。
だとすれば、直せる場所も決まる。国でも教育でもなく、まず一社ずつだ。教育制度を変えるには二十年かかるが、自社の採用基準と育成方針は来月から変えられる。
最後に、自分に刺さる話を書いておく。
「人手不足」という言葉は、経営者にとってあまりに便利すぎる。売上が伸びないのも、品質が落ちたのも、これ一つで説明がつく。だが多くの場合、正しい表記はこうだ。
人が来ないのではない。自分の会社が来てもらえるほどのものでないか、人を育てていないだけである。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
「人手不足」の八割は、書き換えると「育成不足」になる。残り二割が、本物の人手不足である。
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