2026/9/10

教育課題③ - 日本文化の「輪ゴム」化現象

ドーナツの定義は、生地ではない。穴である。

外側が残っているうちは、まだドーナツに見える。だが穴が広がり続けると、生地は輪郭だけになり、最後に残るのはドーナツを名乗る「輪ゴム」だ。

これと同じことが、いま日本の職業社会に起きているのではないか。順を追って書く。

日本で多くの親が子に望むことは、驚くほど似通っている。いい学校に入り、いい会社に入り、いい給与をもらう。この一本道だ。「腕のいい職人になれ」「現場を仕切れる人間になれ」と言う親を、私はあまり見たことがない。

結果、専門職を志す人が減り、ホワイトカラー予備軍だけが増えた。予備軍と書いたのは、全員がなれるわけではないからだ。

椅子取りゲームを想像してほしい。椅子は十脚、参加者は百人。九十人は必ず座れない。ここまではどんなゲームでも同じである。問題は、負けた九十人に、別の遊びが一つも用意されていないことだ。縄跳びの会場もドッジボールのコートもない。だから九十人は、音楽の止まった体育館に、立ったままでいる。

一方、専門職の側は高齢化している。建設、整備、介護、物流。運送業でも、運転手の平均年齢は上がり続けている。若い人が入ってこないからだ。その穴を、いま外国から来た人たちが埋めている。

ここで、少し意地の悪い問いを置いておきたい。

電気と水道とトラックが三日止まれば、社会は死ぬ。会議資料が三日止まっても、誰も死なない。

生活に必要なエッセンシャルワークを担う人に外国人の比率が増える一方で、日本人の多くは、生活には不要不急の事務仕事に就きたいと願っている。生活に必要な真ん中の部分から、日本人が消えていく。

これがドーナツ化である。

ここで、欧州の仕組みを見ておきたい。

ドイツでは、小学校を終える十歳前後で進路が分かれる。オランダも十二歳前後で分岐する。フランスは中学までが共通で、十五歳前後で普通科と職業科に分かれる。国によって時期は違うが、共通しているのは、進路が早い段階で複線になるという点だ。

日本人がこれを聞くと、たいてい「かわいそうだ」と言う。十歳で人生が決まるなんて、と。

だが現地の感覚は違う。決め手は成績の優劣ではなく、適性と本人の希望である。そして何より、どちらの道を選んだかで人間の格は決まらない。

配管工が医者より下ということはない。よく考えてほしい。夜中に水道管が破裂したとき、あなたが電話するのはどちらか。技能職の収入が事務職を上回ることも普通にある。やり直しの回路もあり、米国でも州や連邦の職業訓練制度が、成人が手に職をつけ直すための費用を負担する仕組みが整えられている。

日本には、この複線がない。全員が同じ一本のレースに並ばされ、負けた人が行き場を失う。負けた人が悪いのではない。一本しか道を用意しなかった設計が悪い。

ここで、時計を大きく戻したい。

江戸時代、多くの人は生まれた場所で将来の職が決まっていた。自由がない、封建的だ、と我々は教わってきた。

だが、幕末から明治初期に日本を訪れた外国人たちが残した記録を読むと、印象がまるで違う。渡辺京二『逝きし世の面影』は、そうした記録を集成した本である。彼らが繰り返し書いたのは、物は乏しいのに清潔で、笑いが絶えず、人が親切で、互いを助け合う国だ、という驚きだった。天国のようだと書いた者さえいる。

もちろん、美化はしない。飢饉があり、身分による理不尽があり、記録に残らなかった悲惨も膨大にある。訪問者の目が旅行者の目であったことも割り引くべきだ。

それでも、一点だけは見る価値がある。

メニューが一つしかない食堂は、注文で悩まない。そのかわり、その一皿を極める。

職が決まっていたからこそ、人はその中でどう咲くかを考えた。逃げ場がない代わりに、迷う必要もなかった。持ち場を極めることが、そのまま人生の主題になった。

明治になり、中央集権化とともに職業選択の自由が来た。これは疑いなく前進である。自由を否定する気は毛頭ない。

ただ、副作用もあった。かつて藩ごとに、その規模に応じた役割と職の枠があり、地域のなかで人が配分されていた。適材適所は、いまよりよほど機能していた面がある。それが一つの巨大なレースに置き換わったとき、能力に見合わない椅子を目指す人が大量に生まれた。自由とは、職を選べる自由であると同時に、自分が選ばれない不自由でもあった。

そして、私が本当に恐れているのはここから先である。

勤労を徳とする勤勉さ。与えられた仕事に取り組む一所懸命さ。役割のなかでの創意工夫と改善。日本の就労社会がかつて持っていたこれらの良いものを、いま身につけているのは、日本の現場を支える外国人たちだ。

彼らは真面目に働き、技術を覚え、段取りを覚える。そして、その背景にあった徳まで覚えて、いつか自分の国に帰っていく。レシピだけでなく、出汁の取り方の心構えまで持って帰る。

それ自体は誇っていい。日本の徳と作法は、世界に残るだろう。

だが、残る場所が日本ではないかもしれない。生地は世界に広がり、穴だけがここに残る。

では、どうすればよいのか。

教育も課題だが、制度を変えるには二十年かかる。国の議論を待っていたら、その間に世代が入れ替わってしまう。現実的に手が届くのは、一社ずつだ。職種に上下の格を付けるのをやめる。現場職の賃金を、事務職より高くしても構わないと腹を括る。育成枠を予算として持ち、割れた皿の代金を会社が飲む。入り口を複線にする。

地味な話ばかりで恐縮だが、社会はこうやってしか変わらない。派手な提言は、たいてい誰もやらないので無害である。

ドーナツは、穴があっても売れる。だが穴だけになったら、それはもう「輪ゴム」だ。

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筆者:

齊藤壮太

横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。

編集後記

良いものが海を渡るのは構わない。困るのは、渡った先にしか残らないことである。

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