

功名とは、名を上げることである。
ただし、一人では成立しない。
誰も見ていない校庭で逆上がりができたとする。それは記録ではあっても、功名ではない。誰かが「あいつはやった」と認め、その評判が仲間の間を回ってはじめて、名になる。
つまり功名は、共同体があるところでしか機能しない。
この単純な事実が、日本の組織のかたちを千年にわたって決めてきた。順を追って書く。
狩猟から、稲作へ
人がまだ狩猟と採集で暮らしていた頃、名を上げる方法は単純だった。大きな獲物を仕留めればいい。ただし、獲物は保存が効かず、土地に価値はない。移動する集団に、蓄積は生まれにくい。
これが変わったのが、稲作である。
弥生時代以降、米を作るようになると、人は定住する。定住すると、土地に価値が生まれる。米は保存できるので、余りが出る。余りが出ると、持つ者と持たざる者に分かれる。
743年、墾田永年私財法
そして743年、墾田永年私財法が出た。
開墾した土地は永久に自分のものにしてよい、という法である。歴史の授業では地味な項目だが、これは相当な転換だった。
働けば、自分の資産が増える。開墾したぶんだけ、自分のものになる。フロンティアの開放である。
資産ができると、守らねばならなくなる
ところが、資産ができると必ず起きることがある。
守らなければならなくなるのだ。
境界を巡って隣と揉める。役人と揉める。盗まれる。誰も守ってくれないなら、自分で守るしかない。9世紀の末から10世紀のはじめにかけて、地方の有力な農民たちが武装しはじめた。
これが武士の起源とされる。起源には諸説あり、都で武芸を家業にしていた下級貴族の系統や、地方に派遣されてそのまま土着した者たちの系統も指摘されている。ただ、いちばん分かりやすい筋は、自分の土地を自分で守るために鍬を槍に持ち替えた人々、という説明だ。
初期の武士は、兼業だった
ここで押さえておきたいのは、初期の武士が兼業だったという点である。
普段は田を耕している。国の大事があれば武器を取る。現代でいえば消防団に近い。普段は工務店の親父さんで、火事のときだけ消防服を着る。あの姿である。
そして、この武士たちの間で生まれた仕組みが、御恩と奉公だった。平安時代の東国で始まり、後に鎌倉幕府がそれを受け継いだ。
なぜ、これがうまく回ったのか
なぜ、これがうまく回ったのか。
主君が領地を広げれば、家臣にも新しい土地が回ってきたからである。
ここが決定的なところだ。取り分の奪い合いではない。全体が増えれば、自分の分も増える。
だから「殿の功名は、自分の功名である」という言葉が、精神論ではなく算数として成立した。殿が勝てば、自分の田が増える。家臣が命を懸ける理由が、ちゃんとあった。
殿のほうも、それを分かっていた。俺の働きは、家臣の働きにかかっている、と。
元寇。勝ったのに、配るものがなかった

さて、この仕組みが最初に大きくつまずいた事件がある。
元寇である。
1274年と1281年、二度にわたって元が攻めてきた。御家人たちは自腹で武具を揃え、兵を集め、命を懸けて戦った。そして、勝った。
ところが、恩賞が出せなかった。
理由は単純である。防衛戦だったからだ。追い返しただけで、新しく取った土地が一寸もない。配るものがないのだから、配れない。
御家人には借金だけが残った。命を懸けた。勝った。何ももらえなかった。
御恩と奉公という契約は、ここから静かに効力を失っていく。そして、それが鎌倉幕府崩壊の一因になった。
覚えておきたいのは、この一点である。
負けたから壊れたのではない。勝ったのに壊れたのだ。
外敵を撃退したという意味では、大成功の戦だった。それでも組織は傾いた。分けるものが増えなかったからである。
戦国は、フロンティアの再開だった
その後、時代が戦国に入ると、この仕組みは一時的に息を吹き返す。
土地がまた激しく動きはじめたからだ。下剋上とは、要するにフロンティアの再開である。誰の土地も確定していないなら、取った者のものになる。功名を立てれば、一代で城持ちになれる。
日本史のなかで武士がいちばん生き生きしていた時代が、いちばん土地が動いていた時代と重なっているのは、偶然ではない。
土地が定まり、武士は役人になった

そして、そこに終止符が打たれる。
信長、秀吉、家康と進むにつれて、領地は次第に定まっていった。日本の中に、取れる土地がなくなっていく。
同時に、武士のかたちも変わった。
豊臣秀吉は1588年に刀狩を行い、1591年には身分統制令を出した。農民から武器を取り上げ、武士と農民の身分をはっきり分けたのである。太閤検地とあわせて、これを兵農分離という。
なぜ、そんなことをしたのか。理由は二つある。
一つは、戦の都合である。戦が大規模化し、長期化すると、農繁期に田へ帰ってしまう兵では戦えなくなった。年中戦える常備の兵、つまり専業の武士が必要になったのだ。
もう一つは、支配の都合である。農民の手から武器がなくなれば、一揆は起こしにくくなる。
こうして武士は農村から切り離され、城下町に集められた。兼業は消え、専業になった。土地の代わりに石高と禄をもらって暮らす身分ができあがる。
一見すると出世である。武士は領地の長になり、殿の領地が広がれば家臣も出世した。
だが、その足元では前提が入れ替わっていた。
取ってくる仕事から、配られたものを管理する仕事へ。武士は、少しずつ役人になっていったのである。
功名の中身が、変わってしまった。
では、取る土地がなくなった世界で、人は何によって名を上げるのか。
その話は、次稿に書く。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
元寇は、日本史の勝ち戦のなかで、最も高くついた勝利かもしれない。勝ったのに配れなかった組織が、どうなるか。答えは教科書の次のページに載っている。
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