

若手に「仕事をする上で大事なことは何ですか」と聞かれた部長補佐が、少し考えてから答えた。
「全部に反応してたら、もたないよ。細かいことは気にしない。できる人に任せる。チームでやってるんだから」
若手は素直にメモを取っていた。言っていることは、どこも間違っていない。研修の資料に載っていてもおかしくない。
私はその横で、先週この人が若手に「ちょっと見といてくれる?」と渡した資料のことを思い出していた。見ておくどころか、中身を作ったのは若手だった。会議で説明したのは部長補佐だった。
言葉だけなら、正しい
鈍感力は、本来は自分を守るための言葉である。
世の中には、助け合う人間ばかりがいるわけではない。足を引っ張る人も、陰で悪口を言う人もいる。いちいちまともに相手をしていたら、身がもたない。だから、わざと感覚を鈍らせる。攻撃されても、それを攻撃と受け取らない。人とうまくやっていくための盾である。
部長補佐の言葉は、この盾の説明によく似ている。だから誰も反論できない。ただ、盾を向けている先が違う。彼が「気にしない」のは、他人の悪口ではない。自分に回ってきた仕事のほうだ。「任せる」も、分担ではない。置いていくことである。
うまいのは、「やってくれ」とは決して言わないところだ。「見といて」「気づいた人がやればいい」「そこは任せるよ」。頼んだ形が残らないから、誰も断れない。引き受けた覚えもないのに、終わる頃にはそれがその人の担当になっている。命令はしていない。ただ、自分では拾わない。
目隠しは、職場のあちこちにある

職場を見回すと、同じ形の鈍感力はよく働いている。
職場の片隅に紙屑が落ちている。何日も誰も拾わない。会議室の机には、前の会議の資料が置きっぱなしになっている。これも何日も片付かない。通りかかった人は全員、それを見ている。見ていて、拾わない。「気づいた人がやればいい」からだ。
満員の電車に、お婆さんが乗ってくる。座っている人の半分はスマホに目を落とし、残りの半分は急に眠くなる。
誰かに聞けば、皆こう言うだろう。「気づかなかった」。
攻撃を受け流す力と、攻撃する力

盾は、飛んできた石を石だと思わずにやり過ごすための道具だ。ところが盾を目隠しに使うと、逆のことが起きる。石をよけるどころか、自分が石を投げる側に回ってしまう。
本人に投げたつもりはない。だが、拾われない紙屑の分だけ、誰かが拾っている。片付かない資料も、最後は誰かが片付ける。立ったままのお婆さんの膝には、その分の負担がかかる。
シルバーシートを思い出してほしい。空いていれば誰が座ってもいい。ただし、優先すべき人が乗ってきたら譲る。それがあの席の約束だ。座るところまでが権利で、譲るところまでが義務になっている。
寝たふりをする人は、その後半だけを捨てる。本当に寝ているのなら仕方がない。だが寝たふりは、「気づかなかった」と言い張ることで席を持ち続ける技術だ。気づかないのではない。気づかないことにして、得をしている。
サザエさんのカツオは、宿題の話になると急に耳が遠くなる。夕飯の話なら、隣の部屋からでも聞こえる。聞こえる耳と聞こえない耳を、場面で使い分けている。子供だから笑って見ていられる。大人がやれば、ただの横着である。
会社にも、寝たふりの席がある
同じ人は、電車の外にもいる。会社の中にもいる。
自分の役職が負うべき判断を、「現場の意見を尊重する」と言って下に投げる。責任を取る場面になると、「そこは任せていたから」と言う。自分がやるべき仕事を、気づけば隣の人がやっている。本人は分担したつもりでいる。
部長補佐も同じだ。責任が回ってくる場面でだけ、よく眠る。
ゼロまでの力
鈍感力は、他人から受けた傷をなかったことにする力である。マイナスをゼロに戻すための力だ。
ゼロから先で得をするための力ではない。
若手のメモ帳には「任せる」と書いてある。それが分担のことなのか、置いていくことなのか、書いた本人はまだ知らない。来週あたり、若手の机に「ちょっと見といてくれる?」が届くはずだ。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
一度だけ、電車で本当に寝てしまったことがある。起きたら、目の前に杖をついたお爺さんが立っていた。あのときの居心地の悪さは、今でも覚えている。寝たふりが得なのは、罪悪感まで一緒に眠らせているからだと思う。
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