

徒競走で負けたら、理由は本人が一番よく分かっている。スタートが遅れた。後半で失速した。単純に足が遅い。反省は一人でできる。
では、リレーでチームが負けた場合はどうか。
理由の特定は、格段に難しくなる。誰もが精一杯走っても、負けることがある。原因は走った人間にないかもしれない。選手の選抜が間違っていたのかもしれない。走る順番が悪かったのかもしれない。
そして厄介なことに、四人全員が「自分はちゃんと走った」と思っている。しかも、たいてい本当に走っている。
チーム戦とは、そういうものだ。勝った理由も、負けた理由も、戦った本人たちの中にはないことがある。
軍隊の場合も同じで、結果はもっと悲惨になる。
個々の戦闘に勝ち続けながら、戦争そのものには負ける。これは軍事の世界では常識だ。戦術的な勝利をいくら積み上げても、戦略的な勝利には自動的に結びつかない。テストで満点を取り続けたが、そもそも受験する科目が違っていた、という話に近い。
そして戦闘で勝ち続けるには、それを支える補給と経済力が要る。日本には昔から、これを八文字で言い切った言葉がある。腹が減っては戦ができぬ。どれだけ足の速い選手を揃えても、給水所のないマラソンは完走できない。矢面に立つ兵士だけが頑張っても、どうにもならないのである。
だから、チームで勝つためには、勝つために何が要るかを理解しているリーダーが不可欠になる。必要なものを手配し、準備し、配置する。そして最も大事なのは、参加するメンバーに「勝てる」という意識を持たせることだ。
つまり、リーダーの義務は一つしかない。
「こいつについていけば大丈夫だ」と思わせること。
これだけである。
暗い山道を歩いていると考えてほしい。隊列を先導する一人が、懐中電灯を持っている。多少方角がずれていても、全員が歩ける。歩けている間は、体力も士気も減らない。
ところが、その先導役が立ち止まり、後ろを振り返ってこう言ったとする。
「こっちで良いのだろうか。みなさん、どっちだと思いますか」
この瞬間、隊列は止まる。そして止まった時間が長いほど、山は暗くなる。方角が間違っていたことよりも、止まったことのほうが、遭難の危険を増やしているかもしれない。
もちろん、間違った方向に進むより立ち止まったほうがいい場面はある。ただしそれは、立っている地面が当面は安全なときだけだ。潮の満ちてくる岩場で「もう少し考えよう」と言う人は、考えたまま沈む。危険な場所で止まったら、とにかく進むしかない。
そして進む方角が正しいか間違っているかは、二の次である。
これは乱暴に聞こえるだろうから、補足しておく。正しさが要らないという意味ではない。外し続ければ、信頼は必ず消える。信頼とは正しさの前払いであって、免除ではない。ただし順番はある。まず「ついていける」と思わせ、その信用の残高を使って決断する。残高がゼロの人間がいくら正論を言っても、隊列は一歩も動かない。
ここで、必ず出る反論に触れておく。「それは強権的では」「心理的安全性はどうなる」。
誤解されているが、心理的安全性とは、意見を言っても罰されないという意味だ。決めないことでも、全員に伺いを立てることでもない。現場に聞けば分かる。部下が最も不安なのは、怖い上司の下ではない。何も決めない上司の下である。
さて、ここからが本題だ。
スポーツには監督がいて、観客もいる。だからリーダーの良し悪しを第三者が判定できる。勝てない布陣なら、外から見て分かる。分かるから、変えられる。
問題は、監督も観客もいない組織である。
大学のサークルを思い出してほしい。試合には出るが、勝つ気はない。練習後の飲み会が本番になっている。上手い人が入ってくると、少し浮く。そのうち「ここでは強くなれない」と言って、静かに辞めていく。残るのは、居心地の良さを守りたい人たちだ。
和は残る。勝利は消える。そして矜持のある人間から順に、抜けていく。
会社は、放っておくとこのサークルになる。誰も「うちの布陣で外に勝てるのか」と聞かない。聞くと空気が悪くなるからだ。代わりに「みんなで決めました」という魔法の言葉が発明された。これを唱えると、誰も責任を取らなくてよくなる。便利すぎる呪文である。
そして、こういう組織で出世するのは誰か。実績のある人ではない。波風を立てない人だ。凪の海でだけ操船の上手い船長が、次々と昇進していく。おべっかの得意な人が要職に並び、腐敗が始まる。裸の王様の話が2000年経っても古びないのは、あれが人間の標準仕様だからである。
国も同じだ。先祖が積み上げた禄で食べているだけの人が、戦う能力を持たないまま要職を占める。祖父が植えた木の実を食べているだけの人間が、木の植え方を語り出す。そうやって滅んだ国と家は、歴史上いくらでもある。
この話は、別稿「決めない。有害で「優秀」な経営者とは?」で書いた貪官汚吏と地続きだ。西郷は「児孫のために美田を買わず」と言った。買わなかったのは、美田が人を腐らせると知っていたからである。
だから、機会は均等でいい。スタートラインは全員同じでいい。
だが、走らない人にゼッケンを付け続ける理由はない。資質がないと分かったら、席から外す。これは差別ではなく、配置である。守備の下手な人をキャッチャーに座らせ続けるのは、優しさではない。本人にとっても、チームにとっても地獄だ。
體育會的な組織は、時代に合わないと言われる。半分は、そのとおりだろう。
だが、勝ち続けている特殊部隊は、いまも例外なく體育會的である。当然だ。「みんなで話し合って決めましょう」と言う消防隊長がいたら、家は全焼する。上下を作るのは威張るためではなく、0.5秒で決めるためだ。
残る問いは一つ。
その場所で戦い続けられる資質の人間を、我々は採用できているか。そして、育てられているか。
リーダーの義務が「ついていける」と思わせることなら、経営者の義務は、ついていける人間を育てることである。
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筆者:
齊藤壮太
横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。
編集後記
「みんなで決めた」という言葉が出た会議は、たいてい何も決まっていない。決まったのは、誰も責任を取らないことだけである。
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