2026/10/11

成長③ - 採用失敗。自己実現を語る社員

金曜の夜、居酒屋の座敷。入社5年目の社員がジョッキを置いて言う。

「自分、そろそろ自己実現したいんすよね」

「今の仕事、成長実感が薄いっていうか」

「会社がもっと機会を用意してくれたらいいんですけど」

後輩たちが神妙にうなずく。いい先輩の顔をしている。

ただ、彼がこの5年でいちばん長く関わった仕事を、私は思い出せない。

会社は、貢献と対価を交換する場所

はっきり書く。会社は自己実現の場ではない。

会社がやっているのは、組織に対する貢献を受け取り、その分の対価を払うことだ。それ以上でもそれ以下でもない。誰かが成長したか、夢に近づいたか、自分らしくいられたか。それは本人の人生の話であって、会社が値段を付けられる項目ではない。

冷たく聞こえるだろう。けれど順序を取り違えると、もっと冷たい話になる。貢献が生まれない人に給与を払い続けられる会社は、この世に一社もない。成長は結果として起きるもので、会社に請求する費目ではない。

勝手に成長していい。むしろ、勝手に成長するしかない。

ジムの会費を払っても、腕は太くならない

ジムに通えば筋肉がつくわけではない。

会費を払い、マシンの前に座り、いちばん軽い重りで20回上げ下げする。汗はかく。気分もいい。けれど3か月経っても、腕の太さは変わらない。筋肉は、今の自分に扱いきれない重さをかけたときにだけ、少し壊れて、少し太くなる。

会社が用意できるのは、建物とマシンと、たまに見てくれるトレーナーまでだ。重りを一段重くするのは本人が決めることで、痛いのも本人である。

「成長させてくれない会社だった」と言って辞めていく人がいる。その人がどの重さで何回やっていたかは、たいてい本人しか知らない。

割を食うのは、隣の席

この構図で得をしている人はいない。

まず本人が損をする。負荷を避けた5年は、履歴書の上では5年だが、中身は半年分しかない。

そして隣の席が割を食う。面倒な案件、クレーム対応、期限の迫った仕事は、断らない人のところへ流れていく。「それは私の成長につながらないので」と言える人が一人いると、その分の重りは必ず誰かのバーベルに乗る。口に出して損得を言うこともない。

ただ、所作に出る。朝の挨拶は、部長の席の側にはよく届く。新しい案件の説明が始まると、彼の目は資料の最後、担当者の欄に行く。自分の名前が残る案件には「ぜひやらせてください」と即答し、誰の名前も残らない案件には「日程を確認してご連絡します」と言う。その連絡は、来ない。会議が担当を決める段に入ると、手元のパソコンを開く。

亀仙人の修行は、牛乳配達から始まる

『ドラゴンボール』で、悟空とクリリンが亀仙人に弟子入りする場面を覚えているだろうか。

二人が最初にやらされるのは牛乳配達である。次が畑の開墾、工事現場、水泳。しかも途中から、重い甲羅を背負わされる。派手な技の話は、ずっと後回しだ。

今なら、初日にこう言われるかもしれない。「牛乳配達は、私のキャリアプランに含まれておりません」。

亀仙人は意地悪でああしているのではない。天下一武道会で甲羅を外したとき、二人は自分でも驚くほど速く動く。負荷をかけた期間そのものが、技の土台だった。

ヒーローになりたい気持ちは誰にでもある。ただ、甲羅を背負う期間を飛ばしてヒーローになった人を、私は見たことがない。

「即戦力」という言葉を、そろそろ疑っていい

5年目の彼を責めても、話は進まない。問題はもっと前、採る側にある。

団塊の世代が現場を去り、若い人の数そのものが減った。大手企業は採用人数の目標を掲げ、数を埋めることに追われている。そこで重宝されるのが「即戦力」という言葉だ。

ただ、新卒に即戦力などというものは、そもそも存在しない。入った瞬間に使える技能があるなら、それは前の場所で誰かが時間をかけて育てた結果であって、その人の持ち物ではない。技能は3か月で教えられる。教えられないものは別にある。

「学生時代に力を入れたこと」の欄には、毎年よく似た話が並ぶ。サークルの幹部、アルバイトでの改善、留学、旅、聞いたことのない大学での活動。どれも本人にとっては大事な経験で、疑うつもりはない。ただ、採る側が本当に知りたいのは、その肩書きではない。うまくいかなかったとき、その人が何をしたかだ。

米の味は、土で決まる

美味しい米は、苗の品種だけでは決まらない。同じ苗を植えても、痩せた土では細い株にしかならない。水はけ、微生物、何年もかけて積んできた肥やし。表からは見えないものが、秋の味を決める。

人も似ている。育った家、通った学校、部活の先生、最初に叱ってくれた上司。誰と触れ合ってきたかが、その人の人格と価値観を作る。

古い言い方かもしれない。けれど採用で見るべきは、技能ではなく土壌である。

見分け方は、案外地味なところにある。誰にでも同じ調子で挨拶をするか。少し早く来るか。飲んだ席の翌朝、ちゃんと礼を言うか。どれも一円にもならないし、評価表にも載らない。見返りがないからこそ、その人が何を基準に動いているかが出る。

「自分に何の得があるか」で動く人は、得のない日にやめる。「組織のために自分に何ができるか」で動く人は、誰も見ていない日も同じことを繰り返す。

この繰り返しが土になる。試練が来たときに逃げずに立てる下地は、派手な経験ではなく、こうした基本動作の反復で作られる。矜持とは、そうやって積み上がった基準の別名である。

人の失敗を、自分の時間を使って拾ったことがあるか。それを手柄ではなく当たり前として語るか。面接で聞くべきは、成功体験ではなくそちらだ。

逆に、いちばん採ってはいけないのが、自分の取り分だけを正確に数えられる人である。この人は必ず、組織の中でいちばん軽い重りを選ぶ。そして選んだことを、キャリア戦略と呼ぶ。

技能は入社後に足せる。土は、入社の時点でできあがっている。

後輩は、重りの重さを聞いている

金曜の居酒屋に戻る。

彼の自己実現の話が一段落したとき、2年目の後輩が聞いた。

「5年目って、何がいちばんきつかったですか」

彼は少し黙って、「まあ、色々あるよ」と言い、店員を呼んだ。

後輩が聞きたかったのは、重りの重さである。それが返ってこない先輩の背中を見て、後輩もまた、軽い重りの選び方を覚えていく。

シェアする→

でシェアする

筆者:

齊藤壮太

横浜・世田谷育ち。学生時代は體育會剣道部、體育會本部に所属。大学卒業後、大手総合商社のサラリーマン経験を経て、2024年に起業。20年近い商社勤務の中で、不動産デベロッパー事業、アパレルOEM事業、自動車ディストリビューター・ディーラー事業、製紙事業、経営企画、ERP刷新PJ統括、デジタル推進組織に携わり、うち所属した5つの組織が解体された。従事した業務は、経営管理、予算・事業計画策定、M&A・PMI推進、原料調達、規程・制度導入、システム要件定義・PJ管理・推進、ロジスティクス管理業務など多岐にわたる。起業後は、日本食文化を世界に残すための取り組み、寺子屋講師、経営者のサポートなど幅広い実践経験を通じ、ハンズオンで経営課題に真摯に取り組んできた。

編集後記

人生でいちばん嫌だったのは、大学の剣道部の生活だ。先輩にはめられ、稽古の後は飲まされ、後輩は自分よりも強かった。あの4年間の辛く、理不尽の中で周りの何人もが去っていった。会社は仕事せずに、辞めずにいる人がいる。不思議だ。

2026/10/22

ノブレスオブリージュを知っているか?

会議室でうなずく十人「本件はアジェンダの確認から入ります。前回のエビデンスを踏まえてケイパビリティを棚卸しし、シナジーをドライブしていく方針です」会議室の十人が、そろってうなずく。質問は出ない。1時間後、エレベーターの中で誰かがぼそっと言う。「で、結局、何やるの?」誰も答えられない。発表した本人だけ...

2026/10/21

「鈍感力」という名の悪意③ - 怒られて伸びる人は赤、褒められて伸びる人は緑

同じ課に、同じ職位の二人がいる。給料はほぼ同じだ。片方は毎日取引先を回り、トラブルを収め、若手の面倒を見ている。もう片方は、定型の書類を定時までに仕上げて帰る。どちらも「自分なりに働いている」と言う。会社に、弱いも強いもない会社は、同じ条件で人を働かせる場所である。職位が同じなら、給料も同じだ。そこ...

2026/10/20

「鈍感力」という名の悪意② - ヘルプマークがなければ、弱いとは認めない

電車に乗ると、鞄にマークを下げている人を見かける。ピンク地に母子の絵が入ったマタニティマーク。赤地に白い十字とハートが描かれたヘルプマーク。それを見れば、この人には席を譲ったほうがいいのだな、と分かる。優先席は、申告制である優先席で優先してもらえる理由は単純だ。「私は今、ほかの人より助けが要ります」...

成長① - 成長し続ける会社の異常とは?
量を追い続ける成長の危うさは、会社の側から書いた。

いい学校、いい会社に行くのはなぜ?
学歴や会社が何のための手段かは、こちらで書いている。

教育課題② - 皿洗いを飛ばした者は、厨房に立てない
下積みを飛ばした者がどうなるかは、厨房の話として書いた。

おまえも権利にただ乗りする貪官汚吏なのか
誰かの重りを黙って背負っている人の話は、別稿にある。

(C) 2026 JSK. All Rights Reserved.